11:21 午後 | Posted in , ,

僕がまだバックパッカーをしていた頃、エジプトのカイロのGHでスーダンから戻ってきた旅行者と数日間過ごしたことがあります。スーダンを縦断してきた旅行者にあったのは、そのときがはじめてで、僕にとっては、いまでも印象深い人の一人です。当時彼は医学生でした。一流国立大学をてで、大手商社に就職、のちに退職、バックパッカーとなり、アフリカ諸国や貧窮国を旅する中で様々な経験、出会いから、なにか強い思いを感じて、あるとき国境なき医師団に参加することを意して、再び国立大学の医学部の門を叩いたという人でした。彼と会って、話したのは、ちょうど9年前の今頃であって、それが最初で最後の出会いで、古ぼけた僕のアドレス帳には、当時のアパートの住所しか残っていない。きっと彼は今ごろ、世界のどこかで医師として、名もなき功績のために活動していることだと思います。どこかで頑張っている旅の盟友、五島さん、応援しています、頑張って。

さて、なぜこういう話になったのかというと(なんだよ、ナカさんマジモードかよ!って突っ込みはいりそうですが・・(笑))

昨日の夜、NHKBS放送(日本では3月に放送された再放送)、《ロキ野戦病院 スーダン難民を救え》を娘と一緒にみました。
スーダンで活動する医療NPOのドキュメンタリー番組です。
それをみて、言葉では、簡単に言い表せないことをいろいろ感じました。
ただ僕たちは幸せなんだということです。津波があって、いろいろと困難もありましたが、それはオカズが3品から1品に減ったくらいの不幸せであって、こうしてPCに向かって時間を持て余して、空白だった今期の予約表を眺めてため息ついてる僕は、幸せだってことです。 日曜ないけど、マジモードでした。

写真は沖合いで撮影したプーケットの夕日です。

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《ロキ野戦病院 スーダン難民を救え》
国家がその機能を失った時、人々はどんな生活に追い込まれるのか。アフリカ北部のスーダンでは、数十年に及ぶ内戦で、人々は想像を絶する状況に置かれている。停戦を迎えた今も、悪化する食料事情の中で進む飢餓、蔓延する伝染病やエイズ。内戦後の犠牲者は200万人、難民は400万人を超える。イスラム急進派の政府と反政府勢力との内戦に加え、市民や外国人へのテロが頻発しているスーダン。この地獄から逃れる唯一の手段は戦闘を避けながら隣国ケニアからやって来る小型飛行機。1987年、ケニアに作られたロキ野戦病院へと重症患者を運ぶものだ。地雷で両足を失った男、餓死寸前の赤ん坊、病気のまま放置された妊婦。飛行機には難民キャンプを抜け出し、生き延びようとする人々が殺到する。病院は、ベッド数560床、年間4000件の手術を行う世界最大の野戦病院。世界中から集まった医師や看護婦など150人のスタッフが活動を支える。医師は限られた設備と医薬品を使い、日々格闘を続けている。彼らが目にするのは、スーダンで続く過酷な現実の悲しい縮図である。
番組では、ロキ野戦病院の活動に密着、悲劇を前に諦めず治療に取組む医師やスタッフの活動を通し、戦争で最も大きな被害を受けるのは、生活の場を踏みつけられる女性・子供・老人といった弱者であることが見えてくる

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